新年に引いたおみくじのことを、ふと思い出した。
「何事にも動じず平常心でいれば、思いがけない幸運がある」と書かれていた。
逆に、自分自身に迷いがあると、人に惑わされてうまくいかなくなるのだという。
そして、その少し後のこと。
本を読んで「自己と言えるものはない」という哲学者の言葉を知った。
はてさて。
すぐにうんうん、と共感できる話ではない。
しかしそう考えてみると、自分の頭の中の思考は、大きく2つに分かれていることに気が付く。
1つ目は、記憶に基づいたもの。
今日は休みだ、〇〇食べたい、あの人はめんどくさい、これやりたい。
長期認識的なものだと、自分はこういうタイプ、これが得意、あれが苦手、こういう人が好き、こうなっていきたい。
人生経験が増えるごとに、知識や経験の幅が広がる。
その記憶をもとに、思考や解釈、判断はより高度になっていくが、それはたしかに、単純に記憶の蓄積によるものかもしれない。
もう1つが、自分の個性に基づいた無意識的な反応。
発生したことに対して、私はこう思う、矛盾している物事に無意識に嫌悪感が湧く、お笑いやコメディでつい笑ってしまうところ。
しかしこれに関しても、今自分で「無意識」と考えていることは、幼少期の記憶などに基づいて形成されたものだという考え方もできる。
個人的には、そうでない部分もやはりある気はして、なので、やはり自分は自分で、持って生まれた個性もあるように感じている。
一方で、その個性に関しても、脳や身体の機能的・細胞的な違いだと言ってしまえば、「自分といえる意識はない」と考えても辻褄が合ってくる。
あくまで脳の神経回路や身体の状態が、個性に現れるのかもしれないということだ。
一点、この「自己がない」という説に対して確実な気付きも1つある。
なりたい姿、将来像があるなら、そのための経験を自分にさせれば良いということ。
例えばおみくじに書かれていた、
「何事にも動じない」ためには、穏やかで強い精神を保てるよう、日々身体を動かしたり健康な食事で身体を軽くしておく。
「平常心」というのは、
ネガティブなことが浮かんでも気にならない、前向きでいられるということなので、瞑想をしたり、日々お笑いで笑う習慣をつけておく。
要するに、昨日の自分、過去の自分に囚われなくて良いということ。
常にスタートは今で、
今日の、今の行動、身体の状態が、
自分の頭の中を、
自己を、
自分を作っていく。

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